「誰も王の半分も努力できないだろう」

「名選手は必ずしも名指導者にあらず」

現役時代に数々の記録を打ち立てた選手は引退後、ほぼ必ず指導者になる運命がある。

球団側が儲けるための策略として、人気選手は引退後も長くチームに尽力してほしいのは当然である。しかし、期待を裏切る結果でチームを去る指導者はかなり多い。

逆に選手時代は目立たなかったが、指導者としてスター選手を作り上げた名伯楽もいる。

その典型例が「世界の王」を指導した荒川博だろう。

荒川は1961年に31歳という若さで引退したが、現役中からオリオンズのチームメイトである榎本喜八を指導し、名打者にした功績から巨人の打撃コーチに就任する。

川上哲治監督からは王貞治の教育を任された。その当時の王は練習態度が悪く、寮の門限を破っては夜遊びを繰り返す問題児だった。指導前、王に「10年後も遊んで暮らしたいなら今から3年間はすべてを我慢して必死に練習しろ」と言い、荒川道場が始まった。王の悪い癖を修正しようと様々な打ち方を試すが、うまくいかない。

不安を残して開幕を迎え、中心選手として期待されていた王の打棒は振るわず、チームも優勝が遠のいていく。王は自信を持てないまま試合を消化していくが、6月30日の試合後の練習で、いつもより足を高くあげて素振りをすると今までにないほどしっくりきた。あの「一本足打法」が生まれた瞬間だ。

その翌日7月1日の大洋戦、降雨の影響で試合開始が30分遅れることになる。急遽、首脳陣ミーティングが行われた。そこで荒川があるコーチから「王が打てないから勝てない」といわれ、とっさに「三冠王を獲るために苦労している」、「ホームランだけならいつでも打てる」と言い返し、血相を変えて王を捕まえ、「一本足で打て、三振を怖がるな」と伝えた。すると運よくその試合でホームランを打ち、「この運を逃がさないように今まで以上に努力しよう」と決意する。

気を抜いた練習をすると、荒川は凄まじい怒号で王を叱責し、近くにいる選手たちも気を抜くことができないといわれた。

荒川は「誰も王の半分も努力できないだろう」と語っているが、その反面、「18歳から目指すべき世界記録を王は21歳になってようやく目指した、それから努力すれば、3年なんて大したブランクではない」と若者への教訓にしている。