一日だけの全盛期

投手には失点はもちろん安打も与えない「ノーヒットノーラン」という偉業があり、達成すると多くの賞賛を浴びるが、それ以上の大偉業が「完全試合」である。失点、安打に加えて四死球や味方のエラーも許されないため、回を重ねるごとにグラウンド内のすべてが緊張感に包まれる。150年以上のメジャーリーグの歴史で完全試合の達成はわずか23回のみ。滅多に見れない大記録である。

技術はもちろんだが、幸運も必要なため名投手といえど達成できることではない。

そんな大記録をワールドシリーズでやってのけた、ただ一人のピッチャーがいる。

ドン・ラーセンは1953年にセントルイス・ブラウンズに入団するが、夜遊びが多く、成績を挙げられずにいた。54年には3勝21敗という散々な成績ではあったものの3勝のうち2勝はヤンキース戦での勝利だったため、17人が関与した超大型トレードの一員としてヤンキースに移籍する。

当時のヤンキースは30年間で16度の優勝歴を誇り、ワールドシリーズに出ることは義務とまでいわれる強豪だった。

1956年のワールドシリーズに出場したヤンキースの対戦相手はブルックリンを地元にするドジャース。同じニューヨーク市内であるため地下鉄で互いの球場を行き来できる「サブウェイシリーズ」となったこの年は、1・2戦はブルックリンの球場でドジャースが連勝する。ブロンクスヤンキースタジアムに移ると3・4戦はヤンキースが連勝。

王手がかかった5戦、誰に先発投手を任せるか悩んだステンゲル監督は、練習で一番良いボールを投げた投手を指名することにした。そこでよかったのがラーセンだった。

2戦目で敗戦投手になったラーセンは「大記録は試合中に口に出すと達成できない」というジンクスがあるにもかかわらず、試合前からチームメイトに「完全試合を狙ってみるよ」と言い放つ。

試合はヤンキースが順調に得点を重ねて、ラーセンも一人の走者を出さない投球で最後の打者を迎えた。最後の一球をその試合で審判を引退するベイブ・ピネリ主審が「ストライク」と判定し、宣言通りの完全試合を達成。キャッチャーが優勝したかのようにラーセンに抱き着いた。

ヤンキースは7戦目でワールドチャンピオンに輝き、ラーセンはシリーズMVPを獲得する。

しかし、その後のラーセンは目立った活躍は出来ずに他球団で引退するが、一日だけの全盛期が「ワールドシリーズ史上唯一の完全試合」として永遠に語り継がれている。

2020年の1月1日、記録達成時の出場選手では最後の生存者だったが、食道がんで亡くなる。

1999年には始球式に登場し、その試合でヤンキースのデビット・コーンが完全試合を達成した。