「メジャーリーグ史上、最も偉大かつ最も嫌われた選手」

おとなしい国民性をもつ日本人からみるとアメリカ人は、「良くも悪くも自分の気持ちをそのまま表現する国民性」と感じるだろう。

現代のメジャーリーグでも喜怒哀楽を全面に出してプレーする選手は多いが、かつて「最高の技術と最低の人格」と評価された選手がいた。

タイ・カッブは厳格な家庭の長男として生まれる。家柄はイギリス貴族の血を受け継ぐ名家であり、初代アメリカ大統領のワシントンも姻戚関係にあったとされる。特に教育者であり、上院議員も務めていた父親からのしつけは厳しく、また、周囲から特別な目で見られていたことに対する反発心から父親と同じ職には就かないことを決めていた。

14歳から野球に興味を持ち始めると、将来を心配された父親から「常に正義をふまえ、正直に謙虚にふるまえ」と教え込まれる。

17歳の時にプロ球団からの評価に悩んでいると父親から「決めたからには、失敗しても帰ってくるな」と言われる。なんとしても成功するため、地元の新聞に匿名で自己プロデュースの投書を大量に送り、知名度を大幅に上げてプロ入り、マイナーで頭角を現すと、デトロイト・タイガースでメジャーデビューが決まる。

しかしこの数日前に父ウイリアムが母アマンダからライフルで撃たれ、亡くなってしまう。理由はアマンダの浮気が原因だったが、アマンダは無罪になる。

この一件でカッブは父からの教えを改め、自分の意思に正直になることを決意し、当時恒例だった新人歓迎のいたずら受けて暴力沙汰を起こしたり、両腕の不自由な観客からひどい野次を受けて逆上し、その観客を殴り続けるなど悪行が絶えなくなる。

 やがて、自分のプレーを邪魔されないように、スパイクの刃を尖らせてスライディングの際に相手にケガを負わせるよう威嚇したり、黒人扱いをしてきた選手には試合後、銃を突き付けて脅すなどその恐ろしさは対戦相手にも向けられた。

しかし、選手としての実力は確かであり、特に打撃においては史上初の4000本安打を達成し、12回の首位打者獲得や史上最高の通算打率3割6分7厘、シーズン打率4割2分などのメジャー記録を100年近く保持する名打者であった。

また、投資家としても敏腕であり、コカ・コーラ社の株で大儲けし、1000万ドル以上の資産を築いたといわれる。それでも私生活はかなりケチであり、家政婦の給料は値切り、水道料金などの支払いも断り続け、さらには電気代節約のため発電機を自ら作って故障させている。

1936年に圧倒的な得票率で第一号のアメリカ野球殿堂入りを果たしたが、今でも彼の評価は「メジャーリーグ史上、最も偉大かつ最も嫌われた選手」である。