サンフランシスコに愛された男

サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地であるオラクル・パークには様々な見どころがある。球場内のレフト後方には巨大なグラブとコカ・コーラの瓶があり、中に入ると滑り台で遊ぶことができる。対してライト側は、レフトに比べると飛距離こそ短いが、高いフェンスでホームランを次々と阻止している。このフェンスを越えるとサンフランシスコ湾の入り江が目の前にあり、打球が海に飛び込む場外ホームランは「スプラッシュ・ヒット」と呼ばれている。最多本数はバリー・ボンズの35本、球場の大きさを見ると簡単そうに見えるがボンズ以外で10本以上打った選手はいないため難易度はとても高い。
ウィリー・マッコビーは1959年にジャイアンツと契約し、デビュー戦でいきなり4安打の活躍を見せて新人王を獲得以降、サンフランシスコで一番の人気選手としてジャイアンツを牽引する。
しかし、73年にパドレスへトレードされると、さらに76年にアスレチックスに移籍。選手として陰りが見え始めたころにジャイアンツに復帰、28本塁打の成績を挙げてカムバック賞を受賞する。80年にテッド・ウィリアムズと同じ通算521本目のホームランを放ち、引退する。50,60,70,80と4つの年代をプレイした唯一の選手であった。
背番号44は永久欠番。また、この年から球団内で影響を与えた人物を称える「ウィリー・マック賞」が制定されるなど、その後のサンフランシスコでも人気は絶大だった。
そして、2000年にジャイアンツの新本拠地としてオラクル・パークが完成。サンフランシスコ湾は「マッコビー・コーブ」と名付けられた。
左打者だったマッコビーは近距離のライトフェンスを見て「思わず現役復帰を考えたくなった」と語った。