もうひとつのMVP

アメリカでは資産家ほど社会に奉仕すべきという考え方が常識になっている。野球界でも成績の優れた選手はMVPとして表彰されるが、もうひとつ優れた選手に贈られる賞がある。それは成績ではなく人格の優れた選手を称える栄誉だ。

1955年にパイレーツに入団したロベルト・クレメンテは悪球打ちでありながら、毎年のように高打率を残し続ける打撃センスと最大の魅力である強肩で12年連続のゴールドグラブ賞を受賞するなど攻守で優れたプレーヤーである。それでありながら正当な評価を得られず、ケガで試合を欠場すれば仮病と疑われるなど中南米選手として差別を受けていた。

そんな彼が最も輝いた試合が1967年のとあるレッズ戦。守備でホームランキャッチのファインプレー、打ってはホームラン3本を含む4安打でチーム全得点の7打点を記録する。それ以降、彼への評価は一転し、誰もが認めるパイレーツ史上最高の選手となる。しかし彼の素晴らしさはプレーだけでとどまらない。

球団は彼に敬意を表して様々な記念品を贈ろうとしたが、クレメンテは金銭を要求し、それを小児科への寄付にすることを希望した。優れた選手でありながら慈善活動にも積極的に取り組む姿勢こそ彼の本当の素晴らしさなのだ。

しかし、その積極性が悲劇に代わってしまう。

1972年に最終戦で3000本安打を達成するドラマチックな演出でシーズンを終える。12月23日に祝福のパーティーの開催するも、その日にニカラグア地震が発生、クレメンテもさっそく救援活動を行う。

救援物資を募り飛行機で輸送するとき、なんと現地の兵士が物資の盗難していることが発覚する。そこでクレメンテは「この私の前で盗む者はいないだろう」と言い、物資と同乗することを決めた。

31日、ジェット機よりもチャーター料の安いレシプロ機を使い、最大積載量を上回る物資と共にクレメンテも乗り込んだ。離陸すると直後にエンジンの調子がおかしくなり、操縦士が引き返すため急旋回したのちにカリブ海に墜落。機体の一部が見つかるもクレメンテの遺体は発見されず、死亡した。

事故後、彼の功績を称え、とある賞をコミッショナーが改称することを発表。MVPと匹敵する名誉ある賞で野球の内と外を問わず、たとえ人の目にはつかなくとも、深く世に尽くしているものに贈られる」としてロベルト・クレメンテ賞を制定した。

彼と同じ背番号21番を着けたがる中南米出身は多く、「カリブ球界最大の英雄」として今でもクレメンテは憧れの対象となっている。