なぜ野球選手になったのか?

東京・築地には築地市場築地本願寺など多くの名所があり、観光客もよく見られるが、もう一つ大きなスポットとして、「聖路加国際病院」という総合病院がある。

特徴の一つとして礼拝堂が設けられており、賛美歌が流れるなどキリスト教の文化を感じることができる。

これにより、築地周辺は戦時中の東京都心には珍しくアメリカ軍からの東京大空襲を免れているが、実はそれだけが理由になっているわけではない。

当時、この病院の屋上からは東京市街一円を見ることができ、アメリカ軍にとってはどうしても欲しい東京の地形を調べるための絶好の撮影スポットなのだった。

その頃の日本では、読売新聞が日米野球を開催するためアメリカからメジャーリーガーを招待する計画を立てていた。お目当ては「野球の神様」ベーブ・ルース。彼以外にも多くのスター選手が次々と参加していく中にモー・バーグもいた。

バーグはあまりにも地味な控え選手で、とても来日するに相応しいとは言えない。しかし、なんと彼の正体はユダヤ人の両親を持ち、プリンストン大学コロンビア大学を卒業、複数の言語に堪能で大量の新聞を読み漁るという「メジャーリーグ史上最も異色の経歴の持ち主」であったのだ。

日本でいえば東京大学京都大学を卒業してプロ野球選手になるということ。

そんな頭脳明晰な彼にアメリカ軍が目をつけた。

「試合にはほとんど出ずに都内の大学を巡回し、野球理論を指導する」という名目で来日し、そのついでに東京地形の撮影を依頼される。

1934年、11月29日に試合を欠場し、花束を持って聖路加病院に行き当時の駐日アメリカ大使の娘を見舞うと偽り、部屋を通り過ぎて階段で屋上へ上がるとそこに花束を置いて写真を収めた。その写真はアメリカ軍に利用されるまで本人は知らずに撮影していたという。

引退後は、戦略参謀局とその後身のCIAに所属するなど最後まで「異色の経歴をもつ男」であり続けた。